和学講談所跡
東京都千代田区三番町24。和学講談所は、寛政5年(1793)、江戸麹町裏六番町(現在の東京都千代田区三番町・千代田区立九段小学校付近)に設立。 のち、文化2年(1805)に表六番町に移転。
現在、東京都教育委員会が設置した説明板と千代田区教育委員会が設置した標柱があるのは、文化2年以後の表六番町の地である。
和学講談所跡の説明板
(漢数字を算用数字に改めた)
東京都指定旧跡 塙検校和学講談所跡
所在 千代田区三番町24 指定 大正7年4月 塙検校(1746〜1821)は江戸時代の国学者。 幼名寅之助のち保己一と改名。 武蔵国児玉郡保木野村に生まれ、幼くして失明したが、江戸に出て賀茂真淵らに国学を学ぶ。和漢の学に通暁し、天明3年(1783)検校、文政4年(1821)には総検校となる。 この間、寛政5年(1793)江戸麹町に和学講談所を設立し、講義・会読のほか京都・名古屋などにも史料を採訪して「群書類従」「武家名目抄稿」「史料」などの編纂事業を行なった。 これらの編纂は明治以後の国史・国文学研究に大きな影響を及ぼした。 昭和52年3月31日 建設 東京都教育委員会 (東京都千代田区三番町) |