杉山和一(わいち)


 慶長15年(1610)、伊勢国の生まれ。
 妙観派。坊主・原井勾当。寛文10年(1670)正月元日権成。元禄5年(1692)5月9日、台命により惣検校。同7年(1694)5月18日歿。
法名・即明院殿前総検校権大僧都法印眼叟元清。墓所・真言宗弥勒寺(東京都墨田区立川1−4−13) 及び 神奈川県藤沢市江の島・西浦霊園。

 山瀬琢一門下の鍼術家で、管鍼法を創始。本所一ツ目に拝領した屋敷地に鍼治導引稽古所を開設。 著作に『療治之大概集』『撰鍼三要集』『医学節用集』(杉山流三部書)。 在江戸惣検校として『当道新式目』を編集。

 元禄5年(1692)年に、27番目の座順から抜擢されて惣検校となった。 『三代関』には、「元禄五年壬申五月九日為上意貳拾七人目より惣検校に被仰付候 座中之古法之式目損益在之 新式目大記録に委悉す」とある。


「三部書」序の杉山和一伝

 原文は漢字とカタカナで書かれているが、カタカナの部分をひらがなに直した。 漢字の語には、意訓によるふり仮名が左側につけられている箇所があるが、それについては亀甲カッコ〔  〕で示した。 行中に小さな字で2行に分けて書かれた割り書きの箇所は二重山カッコ《  》で示した。 そのほか、送り仮名を適宜補った箇所がある。

延宝の際 杉山和一と云ふものあり。 卓絶奇偉〔すぐれたる〕の人なり《勢州津の藩士 父を杉山権右衛門と云》。 幼にして江戸に来たり。 鍼科を山瀬琢一に学ぶ。 琢一は其術を京師の入江良明に学ぶ。 良明は其父 頼明に受けたり。 頼明は豊臣秀吉の医官 岡田道保に受く。
其の初め和一 性〔むまれつき〕甚だ魯鈍〔にぶく〕 其の師 琢一 経絡挨穴を指示提誨するも記臆するあたはず。 琢一怒りて之を逐ふ。
是に於て和一 激昂憤氏kふんぱつ〕し 江ノ島に抵り 天女祠に祈り 飲食を断ずること七日 誓って曰く。 「我をして名を世に発せしめば 神の賜ものなり。若し術成らざれば 請ふ 速やかに命を絶てよ」。 期に及んで困頓〔つかれ〕して 已に死せんとす。 時に恍然〔うつつ〕として 管と鍼とを授るものの如し。
是より精思刻苦し 大に覚悟〔はつめい〕する所あり。 遂に名を天下に播揚〔あげる〕するを得たり。 徳川厳有公 聞て大城に召す。 嗣で常憲公の病に侍す。 功効〔しるし〕あり。 一日 公 欲する所を問ふ。 対へて曰く「臣 世に於て希倖〔ねがひ〕する所なし。只 願はくは一目を欲するのみ」。 公 聞きて 之を憐み 本所一ツ目を賜ひ 禄五百石を給す。 後 増して三百石を賜ふ。 特命を以て関東総検校となる。 肄館〔けいこば〕を建て 鍼治講習所と云ふ。 諸方より門人来たり聚り 別に一派を開く。 世に之を杉山流と云ふ。
著述三部あり。 一を大概集と曰ふ《鍼の刺術病論を説く》。 二を三要集と曰ふ《鍼の補瀉十四経の理》。 三を節要集と曰ふ《先天後天脈論》。 是の書畢生の精力を以て 鍼法の秘蘊〔ひみつ〕を発揮〔はつめい〕す。 之を筐中〔はこのなか〕に秘す。

  ―― 「三部書序」,『療治之大概集』,明石野亮,明治13年. 『杉山和一生誕四〇〇年記念 療治之大概集 上中下』,杉山検校遺徳顕彰会,平成21年復刻.

『本朝盲人伝』の杉山和一

    杉山和一
 杉山和一は伊勢津の人。或は曰く、遠州浜松の人なりと。十歳にして明を失ふ。然れども豪爽自ら奮ひ、夙(つと)に名を成すの志あり。
年甫(おさ)めて十七 郷を辞して将に東都に抵らんとし、途に相州江ノ島を過ぐ。 天女の祠に詣り、岩洞に端坐し、粒を断つこと三七日、身を贄して祈誓す。一夕神人の鍼管を授くを夢み、已に寤(さ)むれば、其の物掌中に在り。 乃ち大いに喜ぶ。已にして漸く鍼術を悟る。
後 京都に住し、専ら鍼医を業とし、術益々進む。諸侯疾あれば、聘して其の治を請ふ。是に於て其の名大いに著る。
会々将軍綱吉公疾病あり。亦 之を延いて治を問ふ。一鍼忽ち其の効を奏す。公将に之を賞せんとし、和一に謂つて曰く、汝何の欲する所あるかと。 対(こた)へて曰く 願はくは一目を得んと。左右皆笑ふ。公 惻然たり。 乃ち邸地を本所の第一橋の側に賜ふ。蓋(けだ)し俗に此の地を称して一ツ目と曰ふを以てなり。 尋(つい)で禄五百石を賜ひ、後亦三百石を加賜し、検校に任ぜられ、終に惣録となる。
乃ち天女の祠を其の地に建つ。蓋し其の霊験に報ずるなり。後 亦地を京師高倉綾小路の南に賜ひ、清聚庵を構へ、海内の盲者を総督せしむ。 和一又篤く観音大士を信じ、務めて慈恵を行ひ、盲人の窮乏者は、最も之を賑恤す。
元禄七年五月十八日歿す。年八十有余。本所弥勒寺に葬る。 和一の歿後、海内の盲人 其の像を造りて東都及び京師に置き、其の徳を追想して、其の祭を廃せず。其の子孫 世を襲いで今に至ると云ふ。

  ―― 『本朝盲人伝』,p.37

『徳川実紀』の杉山和一

 瞽師杉山検校和一初見し奉る。

    ―― 『厳有院殿御実紀』 延宝8年(1680)3月27日
 此日瞽者杉山惣検校和一召出され月俸廿口賜はる。

    ―― 『常憲院殿御実紀』 貞享2年(1685)8月5日


杉山和一 外部リンク

  杉山和一とは(コトバンク)

  杉山和一(Wikipedia)

  杉山和一総検校について < 杉山検校遺徳顕彰会


《2016年1月》

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