師堂派。坊主・松賀りう一。万治元年(1658)11月23日権成。
鍼術。杉山和一の師として知られる。
杉山和一の伝記類では、山瀬琢一は和一の若い頃の師であったこと、愚鈍であった和一を破門したことなどが伝えられているが、その後の消息の記録はない。 実際には、後に熊本藩に招聘されて藩の座中支配役を務めたらしい。
永青文庫の『御奉行所日帳』の寛文13年(1673)の記事に、「星野勾当を以 山瀬検校被申越候、此中申上候 盲目春理儀、今日遂吟味候処ニ申度儘を申、此もの壱人前々之座ニ不立帰候而 誅伐仕候」とある。 春理という初心の盲人の処遇について、山瀬検校が支配役として裁定を下したというものである。
緒方晶子;「近世の座頭と当道座」 http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/28561/3/27-0051.pdf p13
『本朝盲人伝』の山瀬琢一
山瀬琢一 琢一は盲人なり。鍼術を京師の入江良明に受く。和一〔杉山氏伊勢の人〕安一〔伊豆三島の人〕之を継ぎ、鍼科遂に盲人の業となる。 ―― 『本朝盲人伝』,p.37 |