杉山和一 2



江島杉山神社

江島杉山神社本殿
(2005年8月撮影)

 東京都墨田区千歳1−8−2。

 杉山和一が将軍徳川綱吉に望みを問われ、「目ひとつ欲しい」と答えて与えられた本所一ツ目の地に鎮座する。 杉山和一は、賜ったこの土地に、江ノ島の弁財天を勧請して分祀した。 没後には和一の位牌所として即明庵が建てられ、さらに後には、鍼治講習所と江戸惣録役所もこの屋敷地内に併設された。

説明板
(漢数字は算用数字に改めた)

  杉山和一と総録屋敷跡
    所在 墨田区千歳1丁目8番2号 江島杉山神社内

 ここは江戸時代、関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総録屋敷の跡です。
 杉山和一は慶長10年(1610)、伊勢国安濃津(三重県津市)で生まれました。 幼時に失明、はじめ江戸の山瀬検校に鍼灸を師事しましたが、後に京都の鍼師入江豊明に弟子入りしました。
 厳しい修業の後、江ノ島の岩窟で断食祈願を行いました。 その満願の明け方、霊夢を通して新しい鍼管術を考案しました。 杉山流管鍼術は、鍼を管に入れ、的確にツボを押さえるという画期的なものでした。 その後和一の名声は日増しに高まり、寛文10年(1670)検校に任じられました。
 さらに5代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、和一は目を請いました。 綱吉は一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総録検校職を与えたと伝えられています。 時に元禄6年(1693)6月のことでした。
 1町四方(約1万2千平方メートル)の土地に総録屋敷と神社が建てられ、現在の場所には鍼治講習所もありました。 現在の神社の名は、土地の拝領者と厚い信仰をささげた江ノ島弁財天を意味します。 社殿の南側には江ノ島の岩窟を模した洞窟があります。

  平成18年8月  墨田区教育委員会

即明庵跡

 神社本殿の南側に隣接する。かつての即明庵の場所には「即明庵跡」の石碑が建てられ、裏面にはその由来が刻まれている。

即明庵跡の碑     現在の即明庵

 「即明庵跡」の碑の裏面に記された「即明庵由来」(原文に句点を補う)

     即明庵由来
管鍼術之祖杉山和一師 深く江之島辨財天を信し 将軍綱吉之侍醫に備
り 元禄六年当所に町屋敷二千七百坪を賜う。乃ち社地九百八拾九坪に
辨財天社を建つ。検校の没後 直に門弟 恩師之霊牌所として即明庵を社
側に建つ。残余の千七百余坪 即ち杉山屋敷なり。後 惣録役所 鍼治稽古所
を此處に移す。明治以後 千歳町と呼稱す。明治維新の際 盲官廃止 辨財天
社地以外没収され 神佛分離の際 之を江島神社と稱す。明治七年七月 村
社に列す。明治廿三年 当流同門の徒 温知舎を興し 明治四年廃絶せる杉
山検校の霊牌所即明庵を再興 杉山神社と稱す。明治卅五年五月 杉山報
恩講を興し 祭典法要を営むも 関東大震火に遭ひ烏有に帰す。大正十五
年九月十八日 拝敞奥殿合計八坪五合の杉山神社再建す。昭和五年九月
廿六日 許可財団法人杉山検校遺徳顕彰会を設立 杉山報恩講の事業の
継承をす。昭和廿年 戦禍の為盡く灰燼に帰するに依り 関係者と謀り杉
山神社奉祀の検校の霊牌を本社に合祀 昭和廿七年九月 江島杉山神社
と改稱し再興なる。昭和卅四年 財団設立卅周年に当り 彌勒寺所在墓碑
の移築新修 並に当所検校の頌徳碑の復旧完成す。昭和卅九年十一月 安
永三年建設の岩屋破損に就き 関係者と協力之が修復を終る。此に於て
一應復旧するも 唯即明庵(杉山神社)跡 後世に所在の不明を懼れ 此處に
石碑を建て明記し 尚其の再建を期す者矣。
       昭和四十年五月十八日建之
                財団法人杉山検校遺徳顕彰会

   

いわや

 神社の南側にある人工の洞窟。江ノ島の岩屋を模して造られた。 内部には、江ノ島神社の祭神である宗像三神が祀られ、杉山和一の坐像が安置されている。

いわやみちの石標     いわや入口     いわや内部に安置された杉山和一坐像

 いわや入口にある「岩屋重修記」(原文に句点を補う)

 岩屋重修記
當社は相州江之島江島神社の御分社にして 元禄六年六月
十八日 五代将軍徳川綱吉公の台命にて 總検校杉山和一大
人創建せり。御本社に於ける信仰の根源は 御霊窟なる奥宮
にあり。當社 亦之に摸して岩屋を築き 寛政五年十月 修理し
安政大正の大震災にも被害なく 昭和に至れり。然るに 同二
十年三月 戦災の劫火には天井の石に亀裂を生じ 遂に壊れ
落つ。茲に於て 旧状を損せず 鉄筋コンクリートにて保強し
山を高く植樹を選びて 風致を増し 古蹟を復現す。又 池は堅
川より隅田川に通じ 江之島の海邊に連りてゆかり深く 魚
鱗閃きしが 今は川水汚染してその面影なく 是亦昔に返へ
さんと改修せり。依ってその由來を傳ふべく 之を撰す。
  昭和三十九甲辰年十一月十八日
        江島杉山神社宮司 三木常正
                    石井玉泉勤書

杉山検校頌徳碑

 神社本殿手前にある。杉山和一の浮き彫りの肖像の下に、業績が点字で書かれている。

杉山検校頌徳碑

  ぞー しょー5い すぎやま けんぎょー しょーとくひ
 あまつ ひ のぼりまして もの みな あかし。 すぎやま けんぎょー あらわれまして よの 
やもーどと めしいとは みな すくわれたり。 すぎやま けんぎょー わいちわ けいちょー 
15ねん いせのくにの つに あれましき。 いとけなくして めしいと なられければ はりの 
みちを きわめて よを すくわばやと こころざし えどに いでて やませ けんぎょーに 
まなびけれども あかぬ ふしぶし おおかりければ ついに えのしまの みやいに 
もうでて おしものをさえ たちて いのりを こめられけり。 がん はつる よの ゆめに 
くだと はりとを えて おどろき よろこび ここに はじめて かんしんの わざわ 
よに あらわれたり。 のち きょーとに いきて いりえ ほーめいに まなびあるわ みずから 
きわめ みを くだき ときを かさねて ついに その かみに さかえし はりの はかせの 
みちを あからめ げんろく 2ねん 5がつ とくがわの 5だい しょーぐんに 
めされて おくいしと なられけり。 こわ まさしく しんかが ないか げかと ならびて 
くすしの みちの ひとしなと なれりしなり。 いつももとせあまり すたれたる みちを 
おこしたるにて いみじき みいさおにこそ ひがしやま すめらみことの みよ げんろく 
5ねん 4がつに もーかんの しきもくを あらためさせられ そーけんぎょーを えどに 
おかせらるる ことと なりて この けんぎょーぞ まず そーけんぎょーに あげられける。 
ふち 800こく かづけられ えど ほんじょ ひとつめの はしの かたわらに 
ひろらかなる だいたくをさえ たばせられぬ。 ここに はりの みちの まなびやを たてて 
なお きたわ みちのくより みなみわ つくしのくにに いたるまで この みちの まなびやを 
おき ひろく まなばされしかば くぬちの めしいら ここに まなびて その 
わざを えけり。 ほし うつり もの かわれども いま はりの みちに かかずらう もの 
いつよろず たれかわ この けんぎょーの みかげに よらざるべき。 よに 
はぐくまるべき めしいに して かえりて よを すくい よを すごす たずきを 
えつるわ とつくにぐにに ためしなき ことに して こわ みな この けんぎょーの 
みいさおなり。 げんろく 7ねん けんぎょー やそじあまり いつつと いう としの 
5がつ 18にち やまいにて みまかられぬ。 あらわしし ふみに いがく せつよーしゅー、 
せんしん 3よーしゅー、 りょーじの たいがいしゅー ありて ながく この みちの 
かがみなり。 すめらみこと この けんぎょーの みいさおを しるしたまい こたび 
とーぐーの ごけいじを おりと して しょー5いを おくらせらるる とーときろかも 
かしこきろかも うねびの みやはしら ふとしく つかえまつりしより みちとせに ちかく 
すがれたる ひとびと いやつぎつぎに あらわれしかど めしいにして かかる 
みいさお たてたる ひとわ たぐい あらじかし。 ここに この みかげに よる おちこちの 
ひとびと はかりて たいしょー 13ねん 5がつ 18にち ふたももとせあまり 
いそとせの まつりに つかまつりて その かたみにとて この いしぶみを けんぎょーが 
おわしし ところと しのびつつ ここに たつる こととわ しつ その ひとびとが ふで 
とりてより いわるる ままに ふじのや あろじ なおまさ しるす。 

      はなは えみ なみは さざめく ぬばたまの 
             やみを はらひて ひの いづる とき

 しょーわ いつとせ 5がつ けんぎょーの ふたももやそとせの まつりも とどこおる 
こと なく すませける。 この かたみにと としふりて こぼちける この いしふみも 
よみがたく なりしかば あらたに その いた つくりなし ここに しふくなせり 
     ざいだん ほーじん すぎやま けんぎょー いとく けんしょーかい
            (いた せいさくしゃ  せと せんぞー)

  (原文点字)

 杉山検校の業績が点字で43行にわたって記されている。 1行は、最も長いところで50マス分ある。 原文に句点はなく、句点に相当する箇所は2マスあけで書かれている。 そのほか、現代の点字表記法とは異なった部分が散見される。

  杉山検校頌徳碑(点字)


弥勒寺(杉山和一墓所)

弥勒寺門前の杉山検校の墓を示す標柱     杉山検校の墓とはり供養塔

 東京都墨田区立川1−4−13。

 本堂の左手前に杉山和一の墓がある。墓域の中央に杉山和一の墓、向かって左側に「はり供養塔」、右側に「杉山検校遺徳顕彰会碑」がある。

 弥勒寺の「杉山検校遺徳顕彰会碑」(原文に句点等を補う)

明治四年十一月 維新政府は盲人の生活協同体として古き傳統を有する盲官制
度を廃止したので 天下の盲人は頼るべき柱を失つた。十八年 初めて鍼術取締
法の公布あり 曾て鍼治講習所に学んだ関澄伯理・榊原学道・藤岡宮戸・小泉荘三・河
井貞f・吉見英受・吉田弘道等は 温知舎を起して管鍼術の復興に努め 二十三年四
月 惣録屋敷即明庵の故地に 官許を得て杉山神社を創立し 総検校杉山和一を祀
つた。三十五年五月 吉田弘道・馬場美静・千葉勝太郎・大貫伊太郎・千野良泉・桜井幾
太郎・森田蒿英・金塚元貞・阿波能夜仙信・松本修顕・高田権太郎・石井寶作等は 杉山報
恩講を結び 社殿塋域を管修した。大正十三年二月十一日 東宮御成婚に当り 杉
山検校に正五位を追贈し 墓を東京府史蹟に指定せらる。仍て 役員に秦野貞斉・
谷村玄教・金原直太郎・勝又傳一郎を加え 検校二百五十年祭を厳修して 惣録屋敷
跡に記念碑を建設し 十五年六月 國井栄太郎・井上喜重郎・芹沢八五郎を役員に追
加して 関東大震災に焼失せる杉山神社を再興した。昭和四年九月十六日 堀越
久三郎氏の特志により吉田・大貫・金原・谷村及び医学博士三宅秀司・富士川游を設
立代表者として 杉山報恩講を財団法人杉山検校遺徳顕彰会に改めた。今次大
戦の敵襲に社殿塋域悉く灰燼に帰したので 役員協戮して資を四方に募り 二十
六年 先つ杉山神社の造営成り 今茲五月 漸く墳塋修理の工を修むるに至つた。
                   顕彰会理事 河越恭二撰
                   弥勒寺貫主 岩堀生道書
  昭和三十四年五月


《2011年8月》

杉山和一

杉山和一 3

検校列伝

当道