妙観派3−1


富田うん一 系

 多数の高名な検校を輩出して非常に繁栄した系統である。 箏曲の生田いく一[元禄9]のほかにも、伊豆田のう一[延宝6]、浅妻かう一[元禄2]ら三絃の名手を出し、生田流の箏曲を継承した倉橋しゆんせう一[正徳6]、安村らい一[享保17]らも同じ系統につらなる。 池川ぜ一[延宝7]は職検校を務めたが、享保7年(1722)、二老の正木い一(妙観派2−1)とともに不座となっている。 また、第3代江戸総検校となった島浦ゑき一[宝永3]は、杉山和一、三島安一(妙観派7−1)の直系ではなく、この系統に属している。 なお、安富(権田)西一[宝暦10]の坊主に羽田座頭の名が見られるが、座頭階級の者の弟子が検校になったのは『三代関』全体を通じてこの一例が認められるにすぎない。

富田うん一柏原ざん一岩崎しゆん一
[元和7]
伊東ゑい一
[寛永16]
 
山尾ふう一
[明暦2]
 
伊豆田のう一
[延宝6]

秋岡せう一
[元禄11]
秋島しん一
[宝永7]
 

浅山しげ一
[享保17]
田村みす一
[元文5]
 
里見 勾当浅山高一
[明和2]
*江戸
浅山今一
[安永6]
妙観派3−2
(A)
 
薗川み一
[享保19]
別所はつ一
[宝暦4]
*薩摩
小牟田ふ見一
[安永2]
 

佐山すず一
(竹岡〜)
[享保19]
 
小出のう一
[元禄16]×
 
綾田くわい一
[宝永7]
 
杉森いせん一
[正徳元]
 
豊長てる一
(〜もり一)
[正徳6]
 
藤田てる一
[正徳6]
 
雲林院ほん一斎田じゆ一
[寛永3]
 
須山とう一
[慶安元]
 
金森屋一
[慶安4]
 
茨木くわ一
[承応2]
池島しよ一
[延宝4]
 
並木くわう一
[寛文2]
曽我山 勾当
島浦ゑき一
[宝永3]
島岡きち一
[享保17]
 
島坂くか一
[享保20]
島川富の一
[宝暦6]
清島左近一
[宝暦8]
妙観派3−2
(B)
 
島上ゑい一
[元文5]
島永亀一
[宝暦14]
 
*江戸 ◎△
真田女是一
[明和4]
妙観派3−2
(C)
 
七尾じゆき一
今井じよ一
[寛永8]

権太ばん一
[寛文12]
大西とよ一
(粂田〜)
[正徳6]
羽田 座頭
(坂井・酒井)
安富西一
(権田〜)
[宝暦10]
妙観派3−2
(D)
 
山中 勾当*江戸
松下豊一
[明和5]
妙観派3−2
(E)
 
小林ぐん一
[延宝4]
 

池川ぜ一
[延宝7]×
松村そる一
[元禄12]
 
倉橋しゆんせう一
[正徳6]
 
中島かう一
[貞享4]
 
浅妻かう一
[元禄2]
 
藤富み一
[元禄9]
藤江おの一
[正徳6]
北岡冠義一
[宝暦13]
 
青木 勾当片岡室一
[宝暦14]
 
大崎おと一
[正徳6]
 

安村らい一
[享保17]
石塚りう一
[宝暦5]
妙観派3−2
(F)
 
白川ばい一
[宝暦11]
 
生田いく一
[元禄9]
大岸みな一
(米山つま一)
[宝永7]
 
稲原くわん一
[宝永7]
佐久間れん一
[寛保元]
 
稲沢 勾当長谷山しゆん一
(木野瀬〜)
[寛保2]
 
中山たみ一
[正徳元]
 
豊本とい一
[正徳2]
 
大浜ひう一
[正徳2]
 
大森うか一
[正徳5]×
[享保8帰]
(生田いく一)
秀島うか一
(生田〜)
[元文5]
 
染山くわんちやう一
[正徳5]
 
岩山てつ一
[元禄10]
杉浦べん一
[正徳2]
 
中野 勾当平牧しつ一
[万治3]
 


《2012年10月》

当道系図

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