視覚障害者(とくに後世の芸能者の系譜に連なる人物)に関する事項 | その他の関連事項 | 人物:歿(享年) | |
6世紀末ごろ | 聖徳太子、四天王寺に敬田院、悲田院、施薬院を設ける。 | ||
大宝元(701) | 『大宝律令』成立。按摩師、鍼師が官位に位置づけられて制度化される。 | ||
天平2(730) | 光明皇后、施薬院、悲田院を設ける。 | ||
天平勝宝5(753) | 鑑真、来日する。 翌年には東大寺戒壇院で授戒を行い、天平宝字3年(759)には唐招提寺を建立する。 | ||
天平宝字7(763) | 5/6 鑑真(76) | ||
弘仁13(822) | このころ、景戒『日本霊異記』成立。盲人の開眼等の記事あり。 | ||
天安2(859) | 人康親王、失明して出家。その後、山科に住み、盲人を集めて管絃を教える。 後世の当道では人康親王を祖神として尊崇する。 | ||
貞観14(872) | 5/5 人康親王(42) | ||
10世紀ごろ | このころ、琵琶の名手として知られた蝉丸が活動。 『今昔物語集』によれば、源博雅(918〜980)が逢坂の蝉丸の庵に通って秘曲を伝授されたという。 | ||
寛仁元(1017) | 5/9 三条天皇(42) | ||
寛仁3(1019) | 眼病を患っていた藤原隆家が九州に名医がいると聞き、自ら志願して長和4年(1015)大宰権帥に赴任。 在任中に刀伊の入寇を撃退して武名を上げる。 | ||
文治元(1185) | 平氏、滅亡する。 | ||
承久年間(1219〜21ごろ) | 『徒然草』によれば、このころ信濃前司行長が平家物語をつくり、生仏(性仏)が語ったとされる。 | ||
永仁5(1297) | 良季編『普通唱導集』に「琵琶法師 伏惟々々々々勾当」(琵琶法師に勾当の官位が付記された最初の記録)。 | ||
延慶2(1309) | 延慶本『平家物語』奥書に、この年の4月10日、根来寺においてこれを書き写すとの記述 | ||
文保2(1318) | 7/2 城玄 | ||
元亨元(1321) | 4/16 盲目唯心、花園院の前で琵琶を弾き、平治平家等の物語を語る(『花園院新宸記』)。 | ||
元弘元(1331) | このころ、『徒然草』成立。第226段に『平家物語』の起源の記述。 | ||