都名不詳。承応3年(1654)4月12日歿。
石村検校に師事。三味線組歌の「端手組」の創始者。 門弟に沢住検校、山野井検校がいたといわれる。
『駿国雑志』巻之七によれば、都名は城丹とされる。
『色道大鏡』の虎沢検校・沢住検校
三味線のおこりは、永禄年中 琉球国より是を渡す。 其の時は蛇皮にてはりて、二絃なる物なり。 泉州堺の琵琶法師中小路といひける盲目に、人のとらせたりけるを、此の盲目よろこびて、しらべつつこころみたりけれど、教へをきかざれば音律かなはず。 是を心うくおぼえて、長谷の観世音へ詣で、一七日参籠し、引きやうを祈りしに、あらたなる霊夢ありて、階をくだる時に、大中小の糸三筋、盲目が足にかかる。 是をとり、三筋の糸をかけてひくに、無尽の色音出たり。 それより三絃にきはむる故に、三味線としかいふ。 其の砌(みぎり)はむざと引きてなぐさみとせしに、暫くして虎沢といひし盲目 是を引きかため、本手破手といふ事を定めて、人にこれをつたふ。 其の後 沢住といふ盲目ありて、是をひきおぼえ、歌に載せて引き出したり。 ―― 『色道大鏡』 巻第七 翫器部 |
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