妙観派。坊主・田寺喜一。寛永元年(1624)12月5日、森田惣検校死去により職惣検校。 悪行過法の罪で寛永11年(1634)2月20日、台命により不座。
明石覚一を初代とする歴代職惣検校の代数の数え方では、 奥田受久一の前の森田城友が22代であるので、奥田は23人目ということになるが、 不座となったために惣検校の歴次には数えられず、当道の慣例では次の小池凡一を23代としている。
検校列伝
当道