師堂派。坊主・高山丹一。寛永11年(1634)4月11日(?)、奥田惣検校不座により職惣検校。 正保2年(1645)6月25日歿。法名・法光院釈清入居士。
前職惣検校・奥田受久一の不座を受けて、当道座内の綱紀を改め、新式目いわゆる「寛永式目」を制定した。 惣検校の歴次としては、前の奥田を除外するため、23代と数えられる。
検校列伝
当道