戸沢芳一(ほういち)


 源照派。坊主・寺家村脇一。文化3年(1806)9月14日権成。

 盛岡藩南部氏支流の三戸雅楽助信敞の子。病により廃嫡となり、当道に入る。

 近世こもんじょ館というサイトの「こもんじょ館」南部を名乗る諸家 28 家臣諸家 19  角屋敷家 『歴世系』を中心に に、以下の記述がある。

 名秀之助 戸沢検校、別号桂園 母同上(正室) 幼に失明因廃嗣焉、文化二乙丑歳利敬(藩主)令是剃髪賜名梅冨 同三丙寅歳賜戸沢姓、同年六月任勾当、又十月任検校、号芳都、室信濃守利謹女永子、利敬命而娶之、后取戻

 この史料によれば、父・信敞は安永元年(1772)生まれ、文政7年(1824)歿。 系図によると、信敞には7人の子があったことが認められる。 戸沢芳一(秀之助)の生年の記載はないが、寛政4年(1792)生まれの姉・照子、同7年(1795)生まれの妹・満子(いずれも夭折)がいるので、同5年か6年ごろの生まれであると考えられる。 同史料から、文化2年(1805)に入門したこと、初心の時の名が梅冨であったこと、翌年には勾当・検校に昇進していることが知られる。


《2015年8月》

検校列伝

当道