雨富龍謙一(りゅうけんいち)


 宝暦9年(1759)ごろ、安房国の生まれ。
 妙観派。坊主・塙保己一。文化3年(1806)5月6日権成。文政9年(1826)7月〜同年11月、74代江戸惣録。文政11年(1828)10月26日歿。

 「流謙一」とも。

    雨富謙一
 雨冨検校謙一は安房の人。両眼夙に盲す。江都に至り、塙検校に従ひて皇典を講ず。 人となり卓犖、詩酒に放浪す。文政11年を以て歿す。時に年七十。絶筆の詩に曰く。
 天今頻リニ我ニ帰期ヲ促ス。先ヅ盃樽ニ対シテ別離ヲ告グ。七十年間長夜ノ夢。覚メ来ル一息絶エ終ルノ時。
と。
門下に麻績一なるものあり。蘆野屋検校と称し、博洽を以て著る。 其の十七回忌に当り、同門の諸子と其の詩の字を分ち、各々和歌を賦し、輯めて一巻となし、志能婦草と名づく。

  ―― 『本朝盲人伝』,p.113


《2014年1月》

検校列伝

当道