師堂派。坊主・粂沢くめ一。元禄12年(1699)6月22日権成。
享保17年(1732)8月12日の日付のある奥村家文書「神文一札之事」(照島検校所持の 「当道平家大秘事之書物」が照島の子息より座中へ奉納されたことを記した文書)に、十老検校の名が連署されている。 そこでは、三老・岩永田鶴一の次に「竹田明一」の名が見られるので、 竹田はこの時点では岩永に次ぐ四老の地位にあったことが知られる。 また、享保19年10月に職検校の岩永が隠居した際には、若松東一が次の職検校に就任していることから、 享保17年までは健在であり、享保19年までに歿または引退したと考えられる。