里見みち一


 妙観派。坊主・篠原きん一。元禄16年(1703)正月元日権成。元文元年(1736)12月23日、不座、今日の検校。

 手代さの一の儀に関与して、五か条の罪により時の五老にて末の検校に引き下げ、常不参、京・江戸御構いとなる。 『三代関』では、元文元年には名が見られず、同4年(1739)に記載されている。 吉谷かん一の病死を機に帰座が認められたものと思われる。


《2012年6月》

検校列伝

当道