篠原錦一(きんいち)


 妙観派。坊主・柳川応一。寛文元年(1661)12月23日権成。 宝永4年(1707)6月21日、池田検校隠居により39代職検校。 同7年(1710)7月11日歿(21日とも)。法名・円鏡院寂月照応居士。

 江戸在住であったらしく、貞享4年(1687)刊の『江戸鹿子』に、「糀町二丁目横丁 篠原」とある。

 「金一」とも書かれる。『三代関』には「篠原」とのみ記され、都名が欠字となっている。 『三代関』の筆録者が都名を漢字で表記しようとして、「金一」、「錦一」のいずれを採るか保留した結果であるように思われる。


《2011年6月》

検校列伝

当道