広田城まつ


 妙門派。坊主・江本城のう。元禄14年(1701)正月元日権成。

 伊予松山藩の『座頭記録』元文4年(1739)3月の条に、「御二老広田殿」が浅田殿豊田殿とともに前年の10月に江戸へ下向し、正月に帰京した旨の記述がある。 翌元文5年(1740)10月の奥津惣検校の隠居にともなって、次の職惣検校には浅田本一が就任しているため、 元文4年までは健在であり、元文5年10月までに歿または引退したと考えられる。

 『表控』では「廣田城松」。


《2013年9月》

検校列伝

当道