師堂派。坊主・浜田もん一。正徳5年(1715)4月6日、高山(高田?)かつう一として権成。のち、浜田ひやう一に改名。
前名は、『三代関』国会図書館本では「高山」、東北大学本では「高田」とある。 先代の浜田検校かつ一(前名:勝山かつ一)が享保5年(1720)に不座となったのちに浜田を襲名したと考えられる。
宝暦2年(1752)の福澄・小野崎両検校の惣録順座公事に関する文書に、九老として名が見られる。。
検校列伝
当道