小田切旅一(りょいち)


 師堂派。坊主・山中久一。慶長8年(1603)10月17日権成。 慶安4年(1651)正月7日、波多野惣検校死去により27代職惣検校。
万治2年(1659)10月25日歿。法名・宝林院英萼嶺雄居士。

 徳川家康の江戸開府後の検校登官第1号で、『三代関』の最初に名が記される。


『徳川実紀』の小田切旅一

 「総検校ともなれば大名と同等の格式」と後生に伝えられた権威は、小田切旅一より始まる。

 佳節により、御座所にて長松君拝謁あり。…(中略)…惣検校小田切某拝し奉る。けふより惣検校は大名と同所にて下乗する事をゆるさる。

  ―― 『厳有院殿御実紀』 慶安4年(1651)7月7日
 * 長松君 = 徳川綱重。


《2013年9月》

検校列伝

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