三島安一(やすいち)


 妙観派。坊主・杉山和一。貞享4年(1687)5月14日権成。 元禄7年(1694)8月19日、台命により惣検校(2代江戸惣録)。宝永6年(1709)10月19日隠居。
享保5年(1720)4月4日歿。法名・元興院殿前総検校権大僧都法印知光明道。

 鍼術・杉山流。杉山和一のあとを受けて、2代江戸総検校となる。


三島安一の出自に関する新説

 三島安一は、従来、伊豆の三島の出身であることから三島という在名を名乗ったとされてきたが、新たな説が提起されている。

 土浦市宍塚には、以下のような話が伝わっているという。

 三嶋安一は幼い頃、再婚した母と一緒に宍塚村に住んでいたが、盲目の身であったので、独立して琵琶法師になろうと考え旅に出た。 やがて鍼師となって修行している途中、松戸の宿で水戸家の姫の行列に遇い、姫の俄な腹痛に困惑する共侍に申し出て、鍼治療をしたところ完治して姫に喜ばれた。 姫の案内で江戸の屋敷へ行き、水戸様の計らいで偉い先生(杉山惣検校和一)の弟子となり、学問を学びその奥義を究めたという。 城中に上がるために、水戸様の口添えで旗本三嶋家の養子となり、「三嶋の姓」を得て、桂昌院や将軍綱吉公の治療に専念し、惣検校、法印となった。 郷里宍塚村の般若寺の境内に護国寺の観音堂を貰い受け、宍塚村へ運び釈迦堂を建立した。

  ―― 小林隆成(羽黒山今泉院大聖寺第58世 権大僧正);「大聖寺と三嶋安一」,『杉山和一生誕400年記念誌』,財団法人杉山検校遺徳顕彰会(2010).

 これに従うならば、三島安一は常陸国の出身で、伊豆の三島とは関係がない。 その在名は、正確には「三島」ではなく「三嶋」であって、旗本三嶋家に由来するということになる。


三島安一 外部リンク

  三島安一とは(コトバンク)


《2010年6月》

検校列伝

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