滝野 検校


 生歿年、都名不詳。

 沢住検校の弟子といわれる。 勾当時代の文禄3年(1594)、浄瑠璃に節を付けて語り始めたと伝えられる。


『色道大鏡』の滝野検校

 じゃうるりの来由は、矢矧の長者がむすめ、浄瑠璃姫の事を作り始めたるによって、じゃうるりと名づけたり。 此の十二段といふものを見るに、何者のつくりたれば、かかる不都合なる事のみを書きつづけたるとぞとおもふに、小野の通が作なれば、実ことはりとぞ覚ゆる。 通女、つとめの身にて、学問すべきいとまはなく、おりふしごとに、わらはべのむかしむかしかたるやうに書きつらねたると見えたり。 書きたる始めは草紙なりしを、滝野勾当といふ者、平家をやつして、是に節をつけたり。 其の比(ころ)、五条に次郎兵衛といふ者ありて、滝野に是をならひかたりけるに、おなじく洛人、熊村小平太といふ者、是を聞き習ひ、これをたのしみて、夜毎に洛中をかたりありきけるを、京わらんべ聞て、これよりじゃうるりといふ事をしれり。

  ―― 『色道大鏡』 巻第八 音曲部


滝野検校 外部リンク

  滝野検校とは(コトバンク)


《2012年1月》

検校列伝

当道