一方流(妙観派か?)の検校。天文13年(1544)年歿。
『本朝盲人伝』の松村福一
福一 福一建業は琵琶法師なり。永正十四年五月七日福一平家物語を唱へたりと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p.217 |
* 建業 = 「検校」に同じ。 |
『本朝盲人伝』が記す永正14年(1517)5月7日の記事は、権中納言鷲尾隆康の日記『二水記』にある。 「福一建業平家を語る。無双の音声なり。」と記され、それ以前に検校になっていたことがわかる。 力量も優れていたようである。
永正16年(1519)に、福一が長松等一の弟子を詐取したという事件が起こり、翌年、福一は不座とされるが、 その後も平家を愛好する公卿たちに厚遇され、『二水記』のほか、近衛尚通の『後法成寺尚通公記』、山科言継の『言継卿記』などにたびたび登場する。
大永元年(1520)10月17日には「山科亭に於いて相伴せしめ、福一建業平家を語る。終夜歌舞了んぬ。」(『二水記』)、 翌日の10月18日には「中御門亭に向かふ。朝飯有り。福一招請するなり。午刻帰る。」(『後法成寺尚通公記』)と、連日のように招かれて平家を語っている。
『言継卿記』には、数年を経た大永7年(1527)及び同8年(1528)にも福一の記事が見られる。 大永7年正月13日に「福一検校」とあったものが、一転して大永8年2月8日には「福一座頭」と書かれているが、不座との関係は定かでない。