師堂派7−1


中島てう一 系

 職検校・岩永たづ一[元禄12]の弟子は9人が検校になった。 ひとりの師匠からの検校任官の人数としては『三代関』中で最も多い。 中には岡村つど一[享保2]のように職惣検校となった者もいるが、不座となった者も4人を数える。正徳年間ごろは検校の濫造期であった。 その後、岩永の孫弟子に玉崎(三宅)ゑい一[安永2]、大竹ふさ一[安永4]が世に出て、その系統は京都と江戸で大いに繁栄した。

中島てう一中村ゆい一蔭山ちん一
[寛永18]
久山さつ一
[元禄9]
梅浦 勾当
古谷津たね一
[宝暦5]
梅浦橘一
[安永3]×
[寛政3帰]
師堂派7−2
(A)
 
浅堀 勾当
豊川沖一
[宝暦14]
久山やよ一
[明和7]
 
北村千代一
[明和7]
 
松山いよ一
(小野塚春一)
(松山伊勢ノ一)
[安永3]×
[寛政3帰]
師堂派7−2
(B)
 

岩永たづ一
[元禄12]
岩山やす一
[宝永8]×
 
松井てい一
[正徳3]
 
岩浜かめ一
[正徳4]×
 
福井とく一
[正徳6]×
 
富島くわく一
[正徳6]×
[享保8帰]
 
岸永ます一
[享保2]
 

岡村つど一
[享保2]

野々村香恵一
[明和4]
 
黒澄つや一
[享保17]
 
松岡りよく一
[享保18]
松岡今出一
[明和2]
*江戸
松岡のぶ一
[安永3]×
 
*江戸 △
大竹ふさ一
[安永4]
師堂派7−2
(C)
 
岩本 勾当*京都
玉崎ゑい一
(三宅〜)
(久保〜)
[安永2]
師堂派7−2
(D)
 
藤川しう一
[元禄16]
小原おと一
[正徳2]
阿部さん一
[宝暦4]
佐々木す一
[宝暦14]
 
清川ふん一
[正徳2]
江本かな一
[宝暦6]
 


《2012年10月》

当道系図

当道