中島てう一 系
職検校・岩永たづ一[元禄12]の弟子は9人が検校になった。 ひとりの師匠からの検校任官の人数としては『三代関』中で最も多い。 中には岡村つど一[享保2]のように職惣検校となった者もいるが、不座となった者も4人を数える。正徳年間ごろは検校の濫造期であった。 その後、岩永の孫弟子に玉崎(三宅)ゑい一[安永2]、大竹ふさ一[安永4]が世に出て、その系統は京都と江戸で大いに繁栄した。
中島てう一 | ― | 中村ゆい一 | ― | 蔭山ちん一 [寛永18] | ― | 久山さつ一 [元禄9] | ― | 梅浦 勾当 | ― | △ 古谷津たね一 [宝暦5] | ― | 梅浦橘一 [安永3]× [寛政3帰] | → | 師堂派7−2 (A) |
└ | 浅堀 勾当 | ― | △ 豊川沖一 [宝暦14] | ― | 久山やよ一 [明和7] | |||||||||
└ | 北村千代一 [明和7] | |||||||||||||
└ | 松山いよ一 (小野塚春一) (松山伊勢ノ一) [安永3]× [寛政3帰] | → | 師堂派7−2 (B) | |||||||||||
└ | ◎ 岩永たづ一 [元禄12] | ― | 岩山やす一 [宝永8]× | |||||||||||
└ | 松井てい一 [正徳3] | |||||||||||||
└ | 岩浜かめ一 [正徳4]× | |||||||||||||
└ | 福井とく一 [正徳6]× | |||||||||||||
└ | 富島くわく一 [正徳6]× [享保8帰] | |||||||||||||
└ | 岸永ます一 [享保2] | |||||||||||||
└ | ◎ 岡村つど一 [享保2] | ― | △ 野々村香恵一 [明和4] | |||||||||||
└ | 黒澄つや一 [享保17] | |||||||||||||
└ | 松岡りよく一 [享保18] | ― | 松岡今出一 [明和2] | ― | *江戸 松岡のぶ一 [安永3]× | |||||||||
└ | *江戸 △ 大竹ふさ一 [安永4] | → | 師堂派7−2 (C) | |||||||||||
└ | 岩本 勾当 | ― | *京都 玉崎ゑい一 (三宅〜) (久保〜) [安永2] | → | 師堂派7−2 (D) | |||||||||
└ | 藤川しう一 [元禄16] | ― | 小原おと一 [正徳2] | ― | 阿部さん一 [宝暦4] | ― | 佐々木す一 [宝暦14] | |||||||
└ | 清川ふん一 [正徳2] | ― | 江本かな一 [宝暦6] | |||||||||||