七〇 四宮河原地蔵事
これも今は昔、山科の道づらに、四の宮河原といふ所にて、神くらべといふ商人あつまる所あり。
その辺の下種のありける、地蔵菩薩を一体つくりたてまつりたりけるを、開眼もせで櫃にうち入れて奥の部屋などおぼしき所にをさめ置きて世のいとなみにまぎれて、程へにければ、忘れける程に、三四年ばかり過ぎにけり。 ある夜、夢に、大路をすぐる者の、声高に人をよぶ声のしければ「何事ぞ」ときけば、「地蔵こそ」と、高くこの家の前にていふなれば、奥のかたより「何事ぞ」といらふる声すなり。 「明日、天帝釈の地蔵会し給ふには、参らせ給はぬか」といへば、この小家のうちより、「参らむと思へど、まだ目のあかねば、え参るまじく」といへば、「かまへて参りたまへ」といへば、「目もみえねば、いかでか参らむ」といふ声すなり。 うち驚きて、なにのかくは夢に見えつるかと思ひ参らすに、あやしくて、夜あけて、おくのかたをよくよく見れば、この地蔵納め置きたてまつりたりけるを思ひだして、みいだしたりけり。 これがみえ給ふにこそと、おどろき思ひて、いそぎ開眼したてまつりけりとなん。 (『宇治拾遺物語』巻5の1) |