生仏と平家物語の起源
『徒然草』226段


 後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、 五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、 慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
 この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。 さて、山門の事を殊にゆゆしく書けり。 九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。 蒲冠者の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。 武士の事、弓馬の業は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。 かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。


《2010年4月》

古典文学に描かれた当道とその周辺

当道