八重崎壱岐之一(いきのいち)


 師堂派。坊主・小沢勾当。文化12年(1815)正月元日、八重崎三保の一として権成。嘉永元年9月11日歿。
法名・直心院前三當藹法橋広栄禅師(『職邸霊簿』では直心院前三藹法橋広栄禅師)。墓所・浄土宗長徳院(京都市上京区仁和寺街道千本西入ル五番町472)。

 京都。箏曲。京流手事物の曲に替手式の箏の手付けを行った。 『磯千鳥』『今小町』『梅の宿』『楫枕』『桂男』『笹の露』『園の秋』『竹生島』『茶音頭』『長良の春』『舟の夢』『御山獅子』『夕顔』などの菊岡作品に手付け。 ほか松浦検校『宇治巡り』『四季の眺』『新浮舟』『末の契』『四つの民』『若菜』、峰崎勾当『越後獅子』、菊崎検校『西行桜』、 光崎検校『七小町』、石川勾当『新青柳』『八重衣』等の箏手付け。


『世界盲人百科事典』の八重崎壱岐之一

 〔八重崎検校壱岐之都〕 京都の人で浦崎検校の門に学んだという.1848(嘉永元)年に世を去ったが年齢は不明である. 1818(文政元)年に大阪で出版された箏曲本に小作品の歌詞が3,4編採録されている. 文化年間から天保,弘化にかけて京都を中心に活躍したと思われる.自作の曲はまったく世に用いられていない. しかし,石川勾当,菊岡検校,佐山検校,松浦検校らが作った多くの三弦曲を巧みに箏に移して三弦箏による合奏曲とし,今日の京物式合奏法を完成した. 移調曲の数は30曲に上る.

  ―― 『世界盲人百科事典』,p.109


八重崎壱岐之一 外部リンク

  八重崎検校とは(コトバンク)

  八重崎検校(Wikipedia)


《2016年1月》

検校列伝

当道