越後国生まれ。
妙観派。坊主・白勢和合一。文化9年(1812)6月29日権成。
『座下控』の任官記録には「伯勢」とある。坊主の白勢和合一と同じ在名となることを避けるために字を変えたものと考えられる。
ラ・ラ・ネット 新潟県生涯学習情報提供システムの中に、白勢検校遺品が紹介されている。
白勢検校遺品
検校とは、男子盲人の仲間組織当道座の最高官位です。当道座は、按摩や鍼・灸などの治療や音楽を生業とする者の単なる組合的職能団体ではなく、裁判や刑罰等の取締り権限も与えられた自治組織で、室町時代以降の幕府の公認機関でした。 白勢検校は、現加治川村金子の元十町歩地主白勢家五代長兵衛の子で、名は正徳、協和一と名のり琵琶を奏しました。盲目のため同族の検校白勢和合一の弟子となり、文化9年(1812)に検校に任官し、天保4年(1833)に没しています。 墓は市内長徳寺にあるが、享年は不明です。住居は荒町(現豊浦町)にあり、晩年に市内旧紺屋町(現大栄町一丁目)に移ったようです。 白勢検校が新発田藩の当道座の座本に就任していたかどうかはわからないが、当時領内の盲人仲間の中で、勢力のあったことは推測されます。 5点の遺品は、その官位を示す服1着、帽子2着、杖1本と「妙音講縁記」です。これらの遺品は、盲人社会習俗の研究及び特殊職業集団の資料として遺されているものが少ない現在、貴重です。
指定:市町村 種別:有形文化財(歴史資料) 員数:5点 時代:江戸後期 所有者・管理者:個人蔵 指定年月日:昭和51年3月29日 |