松尾家井一(いえいいち)


 師堂派。坊主・原田俊了一。文化11年(1814)2月27日権成。

 東京商科大学の学長を務めた経済学者上田貞次郎(1879〜1940)の母方曽祖父が、この検校であるかもしれない。 一橋大学機関リポジトリ HERMES−IRの上田正一著『上田貞次郎伝』の中に以下の記述がある。

 母の生まれた家は医者であったが、詳しいことはわからない。 菩提所は四谷見付内の心法寺にあって、墓石は上田家のものほど大きくないけれども、その周囲にある他家のと比較すれば立派な方で、表面には竹に雀の家紋の下に、冬林院殿松尾・前検校隆誉・宗竹秀翁大居士の戒名とこの人の配とおぼしき人の戒名が並び刻まれてある。 検校とあるから盲人であった筈だがそのことは聞いてゐない。検校の没した年は天保二年だから、これは母や伯父、伯母の祖父と推定される。伯父の名を三代太郎といったところから考えれば検校が松尾家を号した先祖であったのだろう。 それから検校の墓石の側にずっと小さい墓石が立ってゐるが、これが二代目とその妻、即ち余の祖父母の墓である。伯父松尾三代太郎は和歌山藩士であったが、何うして江戸の医者の子が和歌山藩士になったのか、これも詳しくはわからない。恐らく医者が江戸藩邸に抱へられ、やがて常府の士分になったのであろう。

  ―― 『上田貞次郎伝』 p38 (上田貞次郎の自伝部分の引用)


《2016年1月》

検校列伝

当道