享保16年(1731)、安芸国の生まれ。
明和2年(1765)権成。享和元年(1801)歿。法名・樹扇院風月日理居士。墓所・日蓮宗法華寺(名古屋市東区東桜2−16−29)
『平家正節』編纂。
『三代関』には、検校登官の記載がない。
『本朝盲人伝』の荻野知一
荻野知一は宝暦中の検校なり。 年 甫めて二十二、安芸広島を出でゝ京都に遊び、平曲を前田流の寺尾勾当に学ぶこと三年にして業成りしが、 未だ悉く秘曲を伝へらるるに及ばずして勾当歿せしかば、乃ち更に河瀬検校に従ひて波多野派の平曲を受けしが、已にして河瀬検校も亦歿す。 知一益々其の業を究め、秘曲を石塚検校に伝ふ。其の後 知一益々前田流を維持し、唱揚年あり。 明和七年 伊勢大廟に謁して還り、尾張名古屋を過ぎ、門を開いて徒に授く。当時平曲の伝は僅かに口授に止りて未だ書冊あらず。 知一 之を慨し、其の誤謬を正し、安永五年稿を脱して平家正節と曰ふ。 享和元年六月二十二日病んで歿す。年七十。釈謚して樹扇院風月日理居士と曰ふ。 須賀安貞、丹羽武六郎、小島勾当、浅野武幹、井上士朗、福井検校も亦其の門に出づと云ふ。 ―― 『本朝盲人伝』,p.91 |
荻野知一 外部リンク
荻野検校(Wikipedia) 荻野検校知一 < 荻野検校顕彰会 < 愛知県立大学文学部