元禄6年(1693)ごろ生まれ。
師堂派。坊主・浜田もん一。元文元年(1736)9月26日、三島やそ一として権成。宝暦10年(1760)2月9日歿。
箏曲。江戸生田流祖。はじめ越中富山藩に仕え、のち江戸で生田流をひろめた。
倉橋検校の門下。作品に箏組歌『宮の鶯』、『二長』、『浮舟』、『四季の富士』、『玉鬘』、『四季の恋』及び、倉橋の補作『橋姫』など。
『本朝盲人伝』の三橋弥之一
三橋某 三橋某は初め八橋と称す。検校たり。近江国膳所藩の老臣某の次子なり。両目夙に盲し、箏及び三絃を能くす。 前田利幸其の技を称し、殊に之を寵眷し、杏三折をして花月の歌を作らしめ、某をして琴に和して之を弾ぜしむ。其の歌に曰く、 花下ノ宴ハ寿ス不老ノ春。月前ノ調ハ祝ス長生ノ秋。 三千ノ果実桃初メテ熟ス。数点ノ玉床梅正春。 花筵北海ノ樽ヲ開キ。千鶴南飛ノ曲ヲ献ズ。 幻シ来ル白雪陽春ノ調。判然タル江山流水ノ心。 人間天上歎娯ノ日。和気悠々頭上ニ入ル。 と。 某嘗て江戸に在りし時、利幸之を禄して姓を三橋と改めしむ。 ―― 『本朝盲人伝』,p.62 * 杏三折 = 1681〜1740。富山藩儒。 |
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