島浦益一(えきいち)


 妙観派。坊主・曽我山勾当。宝永3年(1706)正月元日権成。同6年(1709)10月19日、台命により惣検校(3代江戸惣録)。 享保21年(1736)2月22日(23日?)隠居。
寛保3年(1743)9月28日歿。法名・東■院殿覚誉念正了玄居士。

 鍼術杉山流。幕府鍼科医員。

 『表控』では「恵喜一」と記される。

 『三代関』国会図書館本では宝永3年正月元日権成、東北大学本では宝永3年4月1日権成。 東北大学本でも、同年正月元日権成の植村まさ一、衣川きし一よりも上位に名が記されているため、「四月」は「正月」の誤記と思われ、国会図書館本が妥当。 『表控』では、元禄14年(1701)正月元日権成とするが、誤り。総検校であった人物への配慮として、意図的に権成年を繰り上げて上位に配置したものか。


島浦益一 外部リンク

  島浦益一とは(コトバンク)


《2013年9月》

検校列伝

当道