妙観派。坊主・伴能ちを一。正徳6年(1716)3月3日、野崎とだ一として権成。
三絃柳川流。柳川流中興の祖といわれる。
『本朝盲人伝』の深草官一
深草某 深草某は享保年間京都に住む。検校たり。三絃を以て著る。年 既に老ゆ。一日人に謂つて曰く、天地の間に三百六十音ありと。識者 之を異なりとす。 ――『本朝盲人伝』,p.57 |
『本朝盲人伝』の記事の典拠となったものは、橘南谿の『北窓瑣談』の次の記述であると思われる。
深草検校は享保年間に、京都にて三絃の妙手とて、其名 大かたならず、人々感じあへり。 老年に及びて、或時、人に語りかけるは、天地の調子は三百六十あるものなり。 やうやう此頃、此調子あることを知りたりと、其説の当否はしばらく論ぜず、何にもあれ常なみの瞽者にてはあらざりし。 |
『世界盲人百科事典』の深草官一
〔深草検校〕 元禄のころ京都で活躍したと伝えられる. 地唄三弦の初期のころで,演奏技巧もまだ幼稚であったと思われるなかで,奏絃技術の進歩に貢献したといわれる. さらし:京都の南,宇治川の清流に布をさらす風景をうたった歌詞に作曲したもので,初めは三弦だけで演奏したが,文化,文政のころになると,筝や胡弓を配して三曲合奏となった. この曲は生田流ではあまり演奏されないが,山田流で盛んに用いられている.今井慶松はこれを変曲し,「新さらし」と名付け人気を集めた. ――『世界盲人百科事典』,p.108 |
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