植山花英一(かえいいち)


 源照派。坊主・種村なん一。元禄元年(1688)12月20日、植山くわん一として権成。 享保11年(1726)6月朔日、桐山検校隠居により46代職検校。同14(1729)年9月15日不座。

 『三代関』には「訳有りて不座」とのみある。 『当道大記録』には「子息不行跡これある処、其の儘に差し置き段々不埒重なり候事、不届きに依りて享保十四酉年九月十五日、職を被召し放たれ不座なり」(『当道大記録』 表記を改めた)とあり、子息の不行跡を放置したことが不座の理由とされている。

 歌人として著名。江眠軒梅之を名乗る。元禄16年(1703)、和歌集『歌林尾花末』を編集刊行。


『世界盲人百科事典』の植山花英一

 〔植山検校江眠軒梅之〕(生没不明・1700ごろ).元禄時代に江戸の失明歌人として知られた. 梅之が門人の助力を得て,古人今人の歌を聞き集め,4年目に1000人に達したので,住吉・玉津島・明石・北野・江島の5社に奉納したものがすなわち和歌集「歌林尾花末」である. 1703(元禄16)年に刊行した.この集には盲人作歌が相当に収められている.選者梅之の歌「吹きまきてすだれの風の身にぞしむかくれ家までも秋をしれとや」.

  ―― 『世界盲人百科事典』,p.100


《2011年6月》

検校列伝

当道