服山しん一


 師堂派。坊主・平野くわん一。万治2年(1659)12月27日、林ゑん一として権成。 (天和・貞享のころ?)積塔不勤のため不座。 元禄4年(1691)正月(2月?)4日、服山しん一として帰座。 元禄8年(1695)10月25日、不座。

 最初は林の在名で登官した。不座となった後、在名を服山と改めて復帰。 『三代関』には「林ゑん一」とあるが、おそらく「志ん一」の誤記で、都名は一貫して「しん一」であったと思われる。

 積塔不勤により不座となったものの、『三代関』によれば「数年を経て」帰座(『当道大記録』では「十年を経て」)。 その後、悪事が重なり、元禄8年に再び不座となったという。 生涯に二度の不座処分を受けたただひとりの検校である。


《2012年1月》

検校列伝

当道