奥村多一(たいち)


  一方流の検校。天文3年(1534)の「座中天文事件」当時、六老。


 以下の記録は、奥村多一に関する記述である可能性がある。

 「於称名寺逆修在之。平家在之。太一勾当云々。」 ―― 『多聞院日記』 永正3年(1506)2月23日

 「太一検校来。令対面、給一盞。」 ―― 『後法成寺尚通公記』 永正13年(1516)12月24日

 ※ 『後法成寺尚通公記』には、永正9年(1512)・10年(1513)に「泰一勾当」が見える。 同一人であるとすれば、永正10〜13年の間に検校になったことになる。

 「加治左京亮・多一検校・存一座頭等来。令対面、勧一盞。入夜多一・存一語平家。」 ―― 『後法成寺尚通公記』 永正14年(1517)正月26日

 「参新大典侍殿御里。太一建業語平家。」 ―― 『二水記』 永正16年(1519)4月10日

 「太一検校来。令対面。」 ―― 『後法成寺尚通公記』 永正16年12月24日

 「太一検校来、語平家。給扇。即令退出。」 ―― 『後法成寺尚通公記』 永正17年(1520)正月14日

 「宗検校座中ヨリ太一検校・養一検校・城助座頭来。有申子細。」 ―― 『後法成寺尚通公記』 永正17年7月3日


《2011年7月》

検校列伝

当道