同宿 ―― 検校の歿年推定


 元禄13年(1700)から文化2年(1805)までの検校任官の記録である『表控』には、延べ506名の任官者の名が記されているが、その中に同宿の師弟関係の記録が36例見出される。 同宿とは、次のようなものである。

 師匠Aが弟子の官位を取り立てるさいに、Aが検校の位にあればこれをただちに京都の職屋敷へ取り次ぐことができるが、もしAが勾当以下であればAの師匠Bに取次を依頼し、Bが検校でなければさらに師匠の系譜をたどって検校の位にある者に職屋敷への官位取次を依頼しなければならない。つまり職屋敷への官位取次権を有するのは検校に限られておりこの官位取次の特権を有する検校を「学問所」と呼んでいる。
  ―― 加藤康昭;『日本盲人社会史研究』,未来社(1972).p209

 学問所検校が死去した場合、一般にその弟子のうちの最古参の検校が次の学問所となるのであるが、弟子が勾当以下であった場合には職屋敷への取次ができないので、同じ流派の他の検校を学問所として立てなければならない。このように他の学問所の下につくことを「同宿を堅める」といい、下についた弟子を「同宿」という。同宿はいわば養子のようなものであり師弟の絆は弱いから、職弟子の場合とは異なり検校を惣晴次第、その仮の学問所から「同宿はなれ」をして独り立ちの学問所となることができる。
  ―― 同書.p210

 以下の表中の例で若干の説明を加えよう。

 高崎部一の師匠(坊主)の五十嶋勾当は検校ではないから職屋敷への官位取次ができない。したがって、その師匠である吉谷検校に取次を依頼することになる。 しかし、高崎部一が検校に昇進した明和元年(1764)の時点では、学問所たる吉谷検校はすでに死亡している(実際には死亡する前に不座になっている)ため、高崎は別の師匠について同宿の関係を結ばなければならない。 そこで、同じ妙観派の山口検校の同宿弟子となったものである。この「同宿堅め」の成立時期が明和元年以前であることは言うまでもない。

 同宿関係の記録を検討することによって、坊主の歿年(または引退年)の下限及び同宿師匠の歿年(または引退年)の上限を推定することができる。

 真田女是一の師匠は嶋上検校であるが、真田が雨谷検校の同宿弟子となっていることから、嶋上検校は真田が検校になった明和4年以前に歿している(または引退して座を離れている)ことがわかる。したがって、嶋上検校の歿年(または引退年)の下限は明和4年である。

 また、嶋上検校に代わって新たに同宿師匠となった雨谷検校が明和4年の時点で健在だったことも明らかであるから、雨谷検校の歿年(または引退年)の上限は明和4年ということになる(実際には、雨谷検校は明和3〜4年に江戸惣録を務め、明和5年11月25日に歿していることが知られている)。 このように、同宿師匠の歿年(または引退年)の上限も推定することができる。他の資料から歿年が明らかとなっている検校については、▲の記号を付してそれを示した。

 坊主や同宿師匠の歿年(または引退年)が明確に知られていない場合でも、他の資料から歿年(または引退年)の上限や下限を推定できる場合がある。 たとえば、高崎部一の同宿師匠である山口検校は、高崎が検校となった明和元年の時点で健在であったことは間違いないが、その後の明和4年に江戸惣録を務めているから、歿年(または引退年)は「明和元年以後」ではなく、「明和4年以後」にまで引き下げることができる。 それらについても、同様に▲の記号で示した。

流派検校坊主同宿師匠
在名権成年月日在名権成年歿年(引退年)の下限在名権成年歿年(引退年)の上限
妙観高崎部一明和元年10月21日五十嶋勾当山口賀之一
(たを一)
元文4▲明和4〜
(明和4年江戸惣録)
《祖父》吉谷かん一元禄15▲元文元年12月23日不座
▲元文4年6月29日歿
妙観置浦豊見一
(さき一)
明和2年正月元日深草官一
(野崎とだ一)
正徳6▲(〜宝暦12)高岡時一元文4▲安永6年5月13日隠居
師堂山内元一
(山科流一)
明和2年2月28日久保川勾当黒川まさ一
(綾川まん一)
寛延3▲明和3〜
(明和3年『当道略記』)
《祖父》中尾れつ一正徳2▲(〜宝暦元)
妙観真田女是一明和4年正月元日嶋上栄一元文5〜明和4雨谷すん一享保18
元文4帰座
▲明和5年11月25日歿
師堂金井久米ノ一明和4年3月22日金井久米一享保19〜明和4豊浪香一
(にょい一)
寛延4▲安永6〜
(安永6年江戸惣録)
源照福岡近一明和4年5月8日竹中道一宝暦7〜明和4村林清明一寛保元▲安永9年9月25日歿
師堂野々村嘉永一
(香恵一)
明和4年7月4日岡村津登一享保2▲宝暦12年7月23日歿豊浪香一
(にょい一)
寛延4▲安永6〜
(安永6年江戸惣録)
師堂河口道一
(直一)
明和4年7月4日杉坂勾当太田〆一
(七五三一)
宝暦5▲天明元〜
(安永9〜天明元年江戸惣録)
《祖父》外山きん一元禄6▲(〜享保15)
師堂中尾磯之一明和5年正月元日金井久米一享保19〜明和4山崎皆一宝暦6▲安永3年8月7日歿
妙観松下豊一明和5年正月17日山中勾当長谷富岡之一延享4▲寛政5年歿
《祖父》羽山座頭
(酒井座頭)
《曽祖父》大西とよ一正徳6▲(〜宝暦12)
妙門濱口城保
(城宝)
明和6年正月元日源山田?
(三山田城明)
宝暦元〜明和6田中城安
(藤村城阿)
寛保3明和6〜
戸島伊藤文一
(伊東)
明和7年5月23日鈴木亦一
(又一)
享保17▲明和5年6月15日隠居三ツ澤為一
(三崎)
宝暦13明和7〜
師堂松村松一明和7年8月朔日松村磯一宝暦4▲明和7年5月18日歿坂部新一宝暦9明和7〜
師堂玉崎栄一安永2年正月元日岩本勾当安永悦一
《孫同宿》
宝暦5▲安永2年9月19日歿
《祖父》岩永たづ一元禄12▲寛保元年7月24日歿
妙観川西志野一
(しんの一)
安永2年3月13日小名木勾当安永2▲(寛政9以後、〜文化7)浅山高一
《孫同宿》
明和2安永2〜
《祖父》音永彦一明和2〜安永2
妙観小名木熊一明和2年閏3月7日音永彦一明和2〜安永2浅山高一明和2安永2〜
師堂秋本兼一
(おき一)
安永2年4月8日西川みね一寛延元〜安永2木村登仙一
(と専一)
宝暦7安永2〜
妙観間所通一安永3年正月元日山澄千之一寛延4▲明和7年12月2日歿嶋川富之一宝暦6安永3〜
師堂冨山そぶ一安永3年3月20日豊崎ゆい一正徳3▲宝暦12年正月12日隠居河村寿本一延享2安永4〜
師堂菊崎賀光一
(きわ一)
安永3年6月14日山木つや一寛延元〜安永3豊浪香一
(にょい一)
寛延4▲安永6〜
(安永6年江戸惣録)
大山相馬城定安永3年11月9日布浦勾当福嶋城重明和2▲天明8〜
(天明7〜8年江戸惣録)
《祖父》相馬城益宝暦10〜安永3
師堂松岡信一安永3年11月10日松岡今出一明和2〜安永3豊浪香一
(にょい一)
寛延4▲安永6〜
(安永6年江戸惣録)
妙観岡本清尾一安永4年正月元日増井勾当福山由一元文6安永4〜
《祖父》高浜あら一
(さい一)
正徳2▲(〜宝暦5)
師堂津川津一安永4年正月元日津々木賀伊一
(都筑かい一)
延享2〜安永4河村寿本一延享2安永4〜
師堂大竹茂一
(ふさ一)
安永4年正月晦日松岡利与久一享保18▲明和2年歿豊浪香一
(にょい一)
寛延4▲安永6〜
(安永6年江戸惣録)
妙観常浦関一
(常村)
安永4年3月3日野村多与一延享2〜安永4長谷富岡之一延享4▲寛政5年歿
妙観高崎二葉一安永4年9月11日小柳勾当坂本智登一
(ただ一)
《孫同宿》
宝暦7安永4〜
《祖父》高崎直一正徳3▲(〜宝暦7)
妙観内山心安一安永5年7月23日植原勾当
(上原)
中浦美代一宝暦8▲天明3〜
(天明2〜3年江戸惣録)
《祖父》若林龍一正徳2▲(〜宝暦5)
妙観小野寺右膳一
(杉若)
安永6年正月元日稲村薪一
(政一)
延享元〜安永6高岡時一元文4▲安永6年5月13日隠居
妙観山冨湊一
(福田練一)
安永6年正月元日山杉勾当高岡時一元文4▲安永6年5月13日隠居
《祖父》山上多喜一元文4〜安永6
師堂藤上しんもう一安永6年正月元日植崎松の一宝暦4〜安永6三沢織一
(三嶋)
宝暦元▲寛政2〜
(天明6〜寛政2年惣検校)
妙観朝山今一
(浅山)
安永6年正月元日浅山高一明和2〜安永6小梛熊一
(小名木)
安永2▲寛政9〜
(奥村家所蔵文書)
源照古田照一安永6年正月元日松尾勾当吉光鶴清一明和2安永6〜
《祖父》村尾う一元禄8▲享保10年12月23日歿
妙観竹山辰一
(鍬一)
安永6年正月元日竹山時の一寛延3▲明和4年7月1日歿別所初一宝暦4安永6〜
師堂玉川袖一安永6年2月4日相川りふ一
(桐川)
宝暦14〜安永6大久保龍一
(応一)
寛保2▲天明6年10月26日歿
師堂小嶋順一安永6年2月8日中川勾当大澤喜佐一宝暦8安永6〜
《祖父》杉坂勾当
(松坂)
(曽祖父坊主不明)

 表中の検校名(坊主・同宿師匠を含む)は主として『表控』に基づき、『三代関』等における異表記を(  )内に示した。 ただし、表記の違いが軽微であるものは省略した。


孫同宿

 表中の同宿師匠の項に《孫同宿》と記されたものがある。たとえば、玉崎栄一は安永検校の孫同宿となっている。 学問所検校の岩永たづ一の死去に伴い、その弟子である岩本勾当が安永検校の下について同宿弟子となったために、岩本の弟子である玉崎は自動的に安永検校の孫弟子ということになったのである。 それに対して、相馬城定は福嶋検校の同宿弟子となっていて、孫同宿ではない。 同宿堅めが成立した時、すなわち学問所の相馬城益が死去した時には、それに先だって布浦勾当はすでに死去していたと考えられる。


《2013年9月》

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